多趣味なしるみの悪趣味

あざらしだいすき

染まるよ

 

 

 

 世代ではないけど、私の青春は「チャットモンチー」だった。軽音楽同好会でバンドを組んで、慣れてきた頃に女子のスリーピースでチャットモンチーのコピーをしていた。中でも「8cmのピンヒール」への思い入れが強い。これで私を見つけてくれた人が何人かいたから。

 

 

 少しヤンチャな友達から「『染まるよ』やってほしい」とリクエストがあり、スローテンポの持ち曲がなかったので丁度いい機会だと期待に応えた。

 

染まるよ

染まるよ

 

(今調べたら、プロデューサーが亀田誠治だった。すご。)

 

 普段あまり歌詞は見ないタイプなんですが(最低)、改めて『染まるよ』の歌詞解釈サイト見たらなんか鳥肌たった。緻密すぎ

 

 ざっくり言うと、後味悪い別れ方した「あなた」は喫煙者だった。一緒にいる時には理解したくてもできなかったことを、離れてから初めて煙草を吸ってみて「あなた」のことを分かろうとした。その煙が目に染みた。…そうして「あなた」の正しさを受け入れて、やっと決別して、前を向いていく みたいな歌詞。多分。

 当時の私にはここまで解釈するための十分な経験や想像力がなかった。ヤンチャな友達は高校生にして刺さるものがあったんだなあと、羨ましく思う。羨ましい?別に羨ましいことではないな

 

 

 物心ついてからというもの、身内に喫煙者がいなかったので、きっと私も大人になって煙草を吸うことはないだろうと思ってた。「お酒は飲んでも、煙草は吸わないだろうなあ」って

 

 とんでもない。好きになった男の影響であっさり酒呑みの喫煙者になった。肺も肝臓も痛めつけるスーパードマゾヒスティックフリーターに成り下がった。

 

 ヘビースモーカーというほとではなく、あくまでお酒飲んでる時になんとなく手持ち無沙汰になっているその隙間を埋めるために吸ってるという感覚。いや、違う。「煙草吸ってる私、カッコいい」とかいうナルシストも入ってる。煙草はお洒落だ。…くらいのミーハーなにわかスモーカーなので、禁煙くらい容易いことなのである。

 

 

 「我慢できるくらいならやめろ!」と、正しい人たちに言われ続けてきたけど、なんとなく辞められなかった。辞められなかった理由として思い当たる節がある。私にとって煙草の煙は彼氏との思い出を呼び起こす香りの記憶だからだ。あとは単純に、友達との楽しいお酒の席でも気持ちよく煙草をふかしていたから、楽しい記憶を呼び起こす外的要因になっているのである。

 こうなると懐古厨の私は煙草を吸わずにはいられない。煙で思い出すことができるから。(単純に煙草うまい)(ひと段落つくときの切り替えツールでもある)

 

 

 最近は自粛生活だから、ついに実家のベランダとかでも吸うようになっちゃったんだけど、どうしても部屋の中にまで匂いが染みつく。外から帰ってきて自分の部屋が煙草臭いと感じたとき、客観的に見て女の子の部屋がこの匂いはちょっと嫌だなと思って 禁煙を決意した。(軽率)

 

 

 

 

 なにも決別はできてないけど。大丈夫。煙草の煙がなくても、思い出は消えないし、思い出せるから。